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豆柴(柴犬)との出会い

豆柴との出会い

私が豆柴のブリーディングを始めたきっかけは、とても小さな柴犬との出会いでした。

柴犬は戦中辛き目に遭い、個体数が激減し、戦後まもなく保存に力を入れだされました。
保存協会等が力強い活動を行い、全国にいる優秀な柴犬を集め、多くの人の力添えにより今の繁栄があります。

しかし個体数を回復するために平均を設けたことが後の問題となります。

その問題とは、過去には38センチという平均を超える大きな柴や、1尺(30.3センチ)ほどの小さな柴も数多くいましたが、種の数の回復のため規定を超える大きな犬や小さな犬を繁殖から外そうと進んだことです。

日本犬の保存が始まって90年近い月日が流れましたが、38センチを超える大きな柴、20キロ近くにもなる巨柴が出てくるのはそういう遺伝子がまだ残っているという証拠でもあります。

種の回復のために大きさの多様性が犠牲になりましたが、小さな柴(小柴、尺柴)の保護に力を注いだのが当犬舎です。

私はブリーディングを始めた当初、柴犬の繁栄に奮闘された方々の元に足を運び、歴史を知り、同じ道のりを辿ろうと、全国に走り回り、小さな柴犬を探し回りました。

ただ小さなだけではなく、柴犬の骨格、容姿、毛吹き、人への忠誠心、または、親、祖父母の系統も調べて、この目で確かめれるものは確かめ、何代も前から本当に小さな柴犬が作出される系統を集めて交配を始めました。

その子が小さくても親が大きければ親の遺伝が突然出ることもあるので、小さな柴犬を集めることにはとても慎重にならざるおえませんでした。

今では豆柴の名称も世間に浸透していますが、戦前は小さな柴犬を「小柴」「尺柴」という名称で親しまれていたと多くのご老人からお伺いしました。

また、日本犬の保存に大変尽力いただいた斉藤義弘氏も晩年になり、「大きさを一つにしたのは間違いだった。」と悔やまれております。

この証言は当時日本犬の保存に携わった多くの人が聞いています。

現在では当犬舎が豆柴を保存してきた一番古い豆柴のブリーダーとなっています。